銀閣寺の見どころや歴史の豆知識は?簡単にまとめて説明します!
スポンサーリンク

銀閣寺ってご存知でしょうか?

 

あなたが日本人ならいまさらですよね(笑)

そう、言わずと知れた京都の有名なお寺です。
修学旅行なんかで行ったことがある方もいらっしゃるかも知れませんね。

一方で、有名なお寺なので名前は聞いたことがあるけれど
実際に行ったことはないという方も多くいらっしゃるでしょう。

そんな、あなたへ銀閣寺やその付近についてご紹介しましょう。

 

 

 

銀閣寺

銀閣寺ってほんとうの名前は慈照寺(じしょうじ)って言うんですよ。
知っていましたか。

京都の人でも意外と知らない人もいらっしゃいます。
まぁ、それだけ銀閣寺という名前が有名になり過ぎたんでしょうね。

 

では、慈照寺(じしょうじ)なのになぜ銀閣寺って言うのでしょうか。

銀閣寺と言われているのは、慈照寺の敷地内にある銀閣(ぎんかく)が由縁です。

この銀閣は正式な名称を観音殿(かんのんでん)って言います。

 

でも不思議ですよね。

お寺の正式な名称が慈照寺(じしょうじ)でその中にある
観音殿(かんのんでん)が正式名称なのに銀閣(ぎんかく)と呼ばれている。

しかし、誰もが知っているのは銀閣寺という名称なんですからね。

 

諸説ありますが、これだという明確なものはないようです。

ま、でもその前に出来ていた金閣寺(きんかくじ)
これも正式名称は鹿苑寺(ろくおんじ)ですが
それに、対して銀閣寺という呼び方が一般的になったのではないでしょうか。

と、私は考えているのですがどうでしょうね。

銀閣寺の歴史


銀閣寺が建てられたのは室町時代です。
歴史好きの方なら室町時代と聞けばすぐに西暦がわかるかもしれませんが
なかなか普通は、ぱっとでてきませんよね。(笑)

西暦で言うと1336年から1573年までです。
一説には、足利尊氏(あしかが たかうじ)が征夷大将軍になった1338年から
足利 義昭(あしかが よしあき)が室町幕府の第15代征夷大将軍だった1588年まで。

室町幕府って15代まであったんです。あの徳川幕府と同じですよね。

 

そして、銀閣寺は1482年から室町幕府第8代将軍足利 義政(あしかが よしまさ)によって造営されました。
もっともこの時点では、銀閣寺というよりも東山山荘(ひがしやまさんそう)の造営と言った方が良いかもしれません。

ここには、もともと浄土寺というお寺がありました。
それが、応仁の乱(おうにんのらん)によって焼失してしまいます。
その跡地に銀閣寺の元となる東山山荘(東山殿)の造営がはじまりました。

その名残は今でもこの付近の地名には浄土寺という名前がついています。
京都市左京区浄土寺〇〇町という感じです。

私などは当たり前の地名ですが、他からこられたかたは珍しく感じるのではないでしょうか(笑)
ちなみに銀閣寺があるところは銀閣寺町です。

 

さて、東山山荘は、1485年に禅室の西指庵(せいしあん)が完成。
1486年持仏堂(じぶつどう)の東求堂(とうぐどう)が完成。
持仏堂とは、仏像を安置しておく場所で、東求堂では阿弥陀如来を祀っています。
1487年には東山殿会所、泉殿(弄清亭)が完成します。

そして、銀閣寺と呼ばれる由縁の観音殿(銀閣)は1490年に完成しました。
しかし、義政は完成の少し前に病気でなくなりました。

皮肉なもので、後に銀閣寺という日本人に多く知られている観音殿(銀閣)の
完成をみることができなかったんですね。

で、なぜ東山山荘(東山殿)が慈照寺(銀閣寺)になったかというと
義政が亡くなった後、臨済宗の寺院となり
義政の法号慈照院にちなんで慈照寺から付けられたからです。。

当初はそのまま慈照院とされていましたが、翌年には慈照寺と改名されました。

そんな慈照寺(銀閣寺)ですが、室町幕府の末期には戦が原因で観音殿(銀閣)と東求堂以外は焼失してしまいます。
残念ですね。

それ以前にも京都は応仁の乱で多くの寺が焼失しています。
その後建て直されているものも多いですし、その中には現在も有名な寺院が多くあります。

そういう意味では、観音殿(銀閣)と東求堂が残ったのは奇跡かも知れませんね。

スポンサーリンク
おすすめの記事